本郷・千駄木まち歩きレポート(7月9日開催)の第3弾、最終回です。
みのりカフェで美味しいお茶・珈琲とケーキをいただいて、一行は根津神社に向かいました。根津・千駄木界隈は文士が多く住んでいたため、根津神社はさまざまな文学作品に登場します。楼門の脇には、漱石や鴎外が腰かけて作品の構想を練ったといわれる「文豪憩いの石」と言われる細長い石がありました。そのすぐ側に、石造りの水飲み場があるのですが、これは陸軍軍医だった森鴎外が日露戦争戦利砲弾を飾るための台座を奉納したものです。裏に「森林太郎」の名前が彫られています。
根津神社を裏門に抜けると、日本医科大学に出ます。その近くに夏目漱石の旧居跡がありました。通称「猫の家」と言われたこの家で、漱石は「吾輩は猫である」の執筆をスタートさせました。煉瓦塀の上に可愛い猫のオブジェがあります。
日医大の裏手、通称「解剖坂」をくだります。突き当たりの道が「藪下通り」で、本郷台地中腹の古い崖道となっています。団子坂方面にのぼっていくと、右手がどんどん崖になっているのが分かります。左手は江戸時代、太田摂津守の下屋敷があり、そこに「千駄木ふれあいの杜」(通称屋敷杜)という緑地がありました。
藪下通りをのぼって行き、一番高台になったところに森鴎外の旧宅「観潮楼」が見えました。ここは現在、文京区立森鴎外記念館となっています。当時ここからは東京湾を眺めることができたため「観潮楼」の名がつけられました。この前の道は観潮楼を訪問する来客の通り道であり、鴎外自身の散歩道でした。コンクリート造りの洒落たデザインの記念館の中には鴎外カフェや鴎外図書館があります。地下の展示室以外は無料で入館することができました。奇しくもこの日7月9日は鴎外の命日にあたり、まるで鴎外に導かれているかのような一日となりました。
ここでまち歩きはお開きとなり、その後希望者だけで光源寺で開催されている「ほおずき千成り市」へと向かいました。。。(終わり)
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本郷・千駄木まち歩き02