2016年12月17日(土)第37回みんくるカフェを行いました。
今回のテーマは「『看取る』ということについて」。死生学に関連したテーマです。当日は、医療・福祉・介護に従事されている方、学生さん、市民の立場で、といったように様々なバックグラウンドを持つ10名の方が集まってくださいました。
今回の会場は本郷にあるカフェ「金魚坂」。店内はレトロな雰囲気が漂い、ゆっくりとした時間が流れる落ち着いたカフェです。
まずは対話の前に、文化人類学者の鈴木勝己さんから、「タイ・エイズホスピス寺院における看取り」というテーマでミニレクチャーをしていただきました。エイズホスピス寺院とは治療を行う医療施設ではなく、仏教徒として「生」と「死」を見つめなおすために功徳を積む場であり、そこには死にゆく人に対する「何もしないケア」というものが存在するそうです。死の間際とは、死にゆく人が来生へ転生する準備の時であり、それはヒトから神的な存在になる時でもあり、現生のヒトがむやみに声をかけてはいけないという背景があるということです。そしてそこには「儀礼的死」という「死」があります。これは、「宗教的に意味づけられた社会死のかたち」と説明され、死者となった後も、寺院においては「儀礼的死者」として存在し続けるのです。寺院ではたくさんの方が亡くなりますが、一人ひとりが自分の身に起こった事実を受け入れ、苦しい中でも口角を挙げて作る笑顔が印象的だそうです。それはタイの人々が重んじる「穏やかな死」を象徴しているとも考えられるそうです。
ミニレクチャーの後はみんくるカフェ形式で対話を行いました。
「あなたはどのように最期の時を迎えたいですか?」というオープニングクエスチョンから対話が始まりました。このテーマで対話する中で、一人ひとりの気づきや疑問をきっかけに、次の対話のテーマをそれぞれのテーブルで決めていただきました。3つのテーブルの対話テーマは、「穏やかさの生まれるところ?」「自分らしさをどう表現するのか?」「あなたは最期をむかえるためにどのように生きたいですか?」。同じクエスチョンから少しずつ趣きの異なるテーマにつながりました。
そして、最後に3つのグループでの対話の内容について参加者全員で共有しました。
印象的だったのは、3つのグループから「関係性」「つながり」という共通するキーワードが出てきたことでした。生から死への「つながり」、人と人との「つながり」、生きているときからはじまる人と人との「関係性」、そして自分らしくというのは人との関係性の中で生きていく・・・。人の「死」というものは時間軸の中のある一点ではありますが、「死」はひとりのものではなく、人との関係性の中で継続していくものといえそうです。
2時間半という時間はあっという間に過ぎ、外はすっかり日が暮れていました。みんくるカフェも終了です。
最後に参加者の方からいただいた感想を一部ご紹介します。
・自分らしい最期は、自分だけでつくられるものではないこと
・たすけて、と言うことは自分へのゆるし
・つながりの作り方、つくることの大事さを実感しました。
・笑顔を大切にしていきたいと思いました。
・「看取る」ことは、人と人との繋がりを必要としているのだということ
死は個人の体験だが、関係性の中でも意味を持つのだということ。
また、みんくるカフェでは今後も死生学に関するカフェを引き続き開催していきたいと思います。ご参加いただいた皆さん、ありがとうございました!