こんにちは!
みんくるプロデューススタッフのマミです。
年の瀬も迫る12月22日(日)、東大医学図書館3階会議室にてみんくるカフェを開催しました。今回のみんくるカフェは、ドキュメンタリー映画「ある精肉店のはなし」を上映し、映画鑑賞後に参加者の皆さんで対話をする、というこれまでにない新たな試みの会となりました。
「ある精肉店のはなし」は、大阪府で、代々精肉店を営んできたある家族の物語です。牛を飼育し、屠畜し、切り分け、そして食肉として販売するというこの家族の日々の営みを、私たちは日常目にすることがありません。「知らない」と言ってもいいでしょう。でも、私たちは食卓に上るお肉を日常の中で頻繁に目にし、そして「おいしい」と言って口にします。
では、私たちはお肉を口にするとき、「いただきます」と言いますが、その「いただきます」という言葉に、どれほどの意味をこめているでしょうか。映画の中で語られる北出家の人々の言葉から、「いただきます」という言葉が持つ意味について、すなわち「命をいただく」ということについて改めて考えます。
そして、この家族がこの土地で代々生業として精肉店を営んできた、ということがどのようなことを意味しているのでしょうか。いわれなき差別を受けてきたという歴史、しかし差別のない社会にしたいと願い、運動に参加することで自分たちの意識も変わってきた語る北出家の長男新司さんの表情、そして食卓を囲む北出家にあふれる笑顔を見ることで、私たちはさらに様々なことを考えます。差別がなぜ生まれる必要があるのだ、と。
そんなドキュメンタリー映画「ある精肉店のはなし」を鑑賞した後、4~5人のグループで輪になり、「映画を観て何を思ったか」というとても大雑把なテーマで自由に対話をしました。そして、途中で席替えをして、さらに違う方々と対話を続けました。今回は特にはっきりとしたテーマを設けず、参加者の方々が自由に語っていただくことに任せてみようと思いました。
おそらく、職業が異なり、年齢が異なり、住む地域も異なり、と様々な背景をもつ参加者の方々がいらしたことから、対話の内容はグループごとにテーマが異なり、また対話の発展の仕方も異なっていたと思います。
そして、約20分を2回というグループでの対話を終え、最後に参加者の皆さんと対話の内容を共有するにあたって、映画の中のある言葉を取り上げ、その言葉をどのように解釈したのかについて皆さんと話しました。それは、北出家の次男昭さんの次のような言葉です。(私の記憶の中での言葉なので正確な言葉ではないかもしれません)
「よく、牛を殺すようなことができるな、すごいな、って言われるけれど、いや、それを食べているあんたのほうがすごいよって言うんだよ。」
この「すごい」とはどのような意味をもつのでしょうか。そして昭さんはどうして「すごい」という言葉をなげかけられたのでしょうか。何が「すごい」のでしょうか。
この「すごい」という言葉には、「命をいただく」ということ、そしてこの土地で代々精肉店を生業として受け継いできたということ、それらの意味を合わせて深く考えることにつながるように思います。そして、この「すごい」という言葉は、観る側の人間の背景や考えによって異なる解釈が生まれます。機会があれば、是非この映画を観て、そして考えていただければ、とも思います。
では、最後に参加された方からいただいたアンケートをご紹介します。
【今回参加して、新たな気づきや学んだことは何ですか?】
・生活や日常の一つ一つの動作の中にも、家族や共同体の歴史、それを生きた人の思いがつまっていること。
・映画から伝わることは皆違い、それを共有することの面白さがわかりました。新しい情報を得る、刺激を得るだけではなく、理解しあう楽しさみたいなものも映画のおもしろさと思いました。
・この映画は、家族の映画であり命の映画であることです。ひとりの人の歴史に多くの命(家族、動物、そしてまわりの人々)がかかわっていると再認識しました。
・北出家の方々が、素手ですべての行程をおこなっている姿が非常に印象的でした。仕事への誇り、情熱、動物への感謝などを感じました。
・生き物の命をいただくことの大切さ。差別が無意味であること。
【今回の参加は、今後のあなたの活動・お仕事にどんな影響を与えそうですか?】
・食に向かう気持ち、感謝
・映画を撮るような気持ちで、日常の細部の場面を観察できそう
・残り少ない人生に大分影響を与えそうです。
・子どもたちへの食育をしっかりとしていこうと思います。
・生活する上でかかわる物、すべての過程、背景、社会一つひとつ考えてみること
・知らないことを知ることの意味を改めて感じました。それは自分で考えることにつながり、深い理解となると思います。
ご参加いただいた皆さま、本当にありがとうございました!